ちゃぶ台

えんぞうです。書いた小説など

フェイズトランスホームカミング

 液化した体組織をたぷたぷに吸って重たくなった服を運んでいるから汗も出るし身体も溶ける。体重を支えるのに必要な筋繊維は分刻みで失われていくのに重さは変わらない。身体を包んでいる殻のような服の固い壁に、液化した自分の身体を転がしてぶつけ、倒れこむように前へ前へ進んでいく。この体重の使い方は夏がくる度に思い出した。ちゃっぷちゃっぷと内殻を身体が打ち付ける音がさらに暑さを不快なものにしている。セミの鳴き声が涼しく感じるほど、という例えをしようにもセミの声を最後に聞いたのはもうずいぶん昔の話で、今耳元で鳴いているのはネコだった。もともと液体だったネコはその自由さのために蒸発し大気中に広がっていて、着こんだ服の隙間から入り込んでくるようになり、ネコアレルギーのヒトは絶滅した。階段を上って二階、アパートの自室の扉を開け溢れてきた冷気が少しだけ俺の輪郭を固めてくれてようやく意識も動きもはっきりしてきて、服を脱いでろ過装置の上で絞る。多孔質の服にたっぷり浸み込んでいた俺の体組織やら汗やらなんやらが古新聞紙と胡桃を敷き詰めた上に溜まる。クーラーの冷気で流動性を失った体組織は装置のヒーターに加熱され再び自由に動き出し、空隙をすり抜けながら香りづき、老廃物や汗を置いて純粋な俺の一部だった頃に戻る。装置の出口と床の間に頭を挿し込んで細くなった筒の先端からニュルっと出てきたそれを口から直接取り込む。

「ほんとそれ汚いから止めな?」ぶわっとなだれ込む熱に咽て俺の一部たちがそこら中に散らばる。妹が窓を開けて部屋の中に入って来たようだった。部屋の空気が攪拌されて恐ろしい速さで空気の温度と粘度が上がっていく。パニックになった俺は床に落ちている俺たちを啜り始め、その下品なふるまいを許すはずもない妹の躾の熱風に焙られて、体表から俺が数パーセントとんでいく。上階の冷房をガンガンにかけた部屋が冷やす天井に集まって結露するも、一度粘度を持ってしまった体組織は重力に引かれるよりも先に流動性を失う。数週間放置していた天井には、ほんのり黄ばんだ乳色の突起が鳥肌のように並んでいる。

「意地汚い兄ぃよ、アレも食えよ」妹の腕が伸びつぶつぶした天井を撫ぜる。よく見れば突起たちにほんのり毛も生えている。

「食えるかあんなもん」

「中途半端なんだよな、兄ぃは。殻に籠るほどビビってるくせにさ」ほどよい弾性がお気に召したのか、一際長い氷柱状のものを突いて遊んでいる。

「てか、鍵かけてたはずだけど」

「一昨日から、あらゆる機械的な封印は私にとって無意味になったんだよ」

「じゃあなんで開けたままなんだよ」

「部屋が寒すぎて私の自由が損なわれるから」

 世界で二十二番目に魔女となった妹にとって、常人が液化してしまうほどの外気は魔法を行使するための熱源でしかないようだった。

「わたしがあげたジョッキあんじゃん。これ使ってよ」

 伸ばした腕が今度は食器棚へと伸びていて、誕生日プレゼントの五リットルのジョッキを掴んで振り回していた。壁面に残った数ミリグラムをどうしても諦められず、ジョッキの洗液を数回ろ過して飲んでいたのだが、濯いではろ過するのを何度も繰り返すうちに面倒になり、結局直飲みに戻ってからはめちゃくちゃ重いだけの使い辛い食器でしかなかった。という反論を待たずに妹はジョッキを俺に投げてよこし、空いた手で棚から目ざとく探し出したシナモンクッキーを三つ四つ掴んで頬張り、牛乳を直のみして流し込んで、手についたクッキーのカスを嘗めとる。俺はジョッキを受け止め切れずにひしゃげた腕をアイロンで焼きなます。

「そういやお兄ちゃん今年帰ってくるの」親に聞き出すように言われたのだろう。チャットアプリでもなんでも使えばいいものをわざわざ魔法を見せびらかしに来たのかコイツ。可愛いとこあんじゃん、と妹を小突く。しなやかな妹の身体が拳の形に合わせて変形する。「ちょっと太ったんじゃないか」

「しね」魔女の魔腕力で繰り出されるアイアンクローは容易く俺の脳を頭蓋ごと溶かし壊す。「帰んの。帰んないの」

「え か えかえ帰りますます」妹の魔法的処置により自分が溶けることへの恐怖心は取り除かれていた。

「おけおけ、いつ帰るか決まったら連絡しなよ」妹は窓枠にしゃがみ、尾鰭を生やすとふくふくと膨張しやがて浮きはじめ、そのまま窓枠を蹴って部屋を飛び出た。距離が離れていっているはずだが膨張しつづける妹の身体は一向に小さくならない。密度の低くなったスカスカの身体を未消化のシナモンクッキーのカスが通り抜けボロボロこぼれ、それを大きな尾が大気ごと掻き混ぜる。その擾乱をきっかけに大気中のヒト未満の体組織が食べカスに集まり、成長し、あちらこちらで人型をかたどりだして、十分な密度を得たものから落下する。地面とぶつかり一度ぺしゃりとつぶれるも、すぐに平気な顔で再生した。全て少女型で、そしてネコ耳を生やしたものばかりで、なるほど、ネコをたくさん含んでいるから高い所から落ちても無事だったのだ。新しい家族が産まれ落ちていく軌跡の先、十分な浮力を得るまで膨張した妹は今では入道雲と並ぶ大きさになっていて、遠く銀色に輝く水平線、太陽光を反射し大気を温め続ける海、生物全ての元、俺たちの実家、一言では母、の肩に手を置いた。俺はスマホを取り出して撮り、母が思いっきり白飛びしているその写真を『家族』のグループチャットに貼る。

 

妹『めちゃめちゃ盛れてる』既読3

母『あたしゃレフ板じゃないよ』既読3

   既読3『ピカピカできれいで良いじゃん』俺

           既読2『今から帰るわ』俺

 

 部屋のクーラーを切って部屋中の窓という窓を開け、風呂桶に入り[To実家]の栓を抜いてアツアツのシャワーを浴びる。身体の表面が融け出して栓を通って先に実家へと向かう。末端部から輪郭が失われていく。それが転移の合図だった。視界が液化した瞼に覆われ、自重を支える構造が解けた一瞬の浮遊感を最後に意識も潰れ、

 

 今実家にいま〜す。

 


 

奇想グランプリで出したやつです。

80%くらいの奇想度はあったようなので良かったです。

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