ちゃぶ台

えんぞうです。書いた小説など

声の化石

「子どもの頃はずっと化石堀りをしていた記憶しかない。遊んでいたわけではなく日々の暖を取るためで、父も母も化石を掘っていた。化石以外のものは父母の親の親の親のそのまた親の頃全て燃やされてしまったので、この星にはもう化石しか残されていなかった。化石を掘って、燃やして、ゆるやかに凍えていく。わたしは化石掘りが好きだったから良かったけれど、そんな生活に疲れて動かなくなってしまったご近所さんは少なくない。それを埋めて、新しい時代のための化石の種とするのもわたしたちの仕事のひとつだった。『おまえのおじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんの、とにかくずっと前に動いていた祖先の身体が、今私たちを温めているのよ』ひとならざる形の化石が炉の中で黒くなっていく。『わたしもやがて立派な化石となる』おまえを暖めてやることはできないけれど、と寂しそうな顔をしながらわたしを抱いてくれた父の体温。父を埋めたのは、わたしと母だった。母はわたしがひとりで埋めた。

 母を埋めてから二年後のことだった。公園の砂場に化石を掘りに向かうと、北の由田からやってきた行商が露店を構えており、そこに広げられた品々といえば先ほどまで生きていた動物の一部だったかのようにまだ瑞々しく、朝の冷たい空気の中で凍っていた。ひとつひとつは手のひらに乗るくらいの大きさで、おそらく身体の端のほうにいたものたち。『他は大きくて運べなかったんだ』唯一動いているはずの口も俯いていて見えなくて、本当に行商が喋っているのかは分からなかった。

 その日はちょうど砂場で化石を手に入れることが出来たから、行商から〈指〉を二つと〈穴〉を交換してもらった。肉の化石は燃えないと言っていた行商の言葉通り、いちばん渇いていた〈指〉すら燃えづらく、薪として使えば逆に火が弱まってしまう。捨ててしまってはもったいないのでもうひとつは食べた。噛むごとに味ではなく石由が染み出てくるので、これが燃えないのは何かの冗談だろうと唸りながらなんとか完食した。由の味に気分を悪くして机の上で伏せていると、頬に湿って暖かい風を感じた。まさか、春が? 触覚を頼りに風を辿った先は〈穴〉の中だ。氷の下で数万年眠っていたはずの化石の内側はねちゃりと濡れていていて、その奥の方では何かが燃えているような熱がある。かざした手のひらが、熱を運ぶ風のわずかな震えを拾う。肌はそれらの正体を探るため〈穴〉へと近づいていき、ついにはかさかさに渇いた縁に触れる。ふいに、眠る前に耳元で静かに物語ってくれた母の吐息を思い出す。あの時、母は何を聞かせてくれたんだっけ。歩く塔、削れた氷、空の街……お話の細部が、ひとつひとつ形になっていくたびに化石の吐息のうねりは強くなり、掠れた音の太さが増していく——

 

「いつのまにか寝落ちしていたらしく、昨晩解凍した〈口〉から漏れてくる声はシクシクと自らのつまらん半生を振り返っていてうんざりくる。始めは甘ったるい声でメルヘンな妄想を語る可愛いやつだったのだけど……と昨晩の思い出に浸りながら腔内をくちゅくちゅといじくり話を遮って頭が覚醒するのを待つ。隅々まで湿っていて燃えない肉の中でも、穴であるために身の部分が少ない〈口〉を欲しがるようなもの好きはいない。どうせそこらに放置されているのだから、わざわざ早起きする必要はなかった。そのまま横になりやる気を待っているうちに、声はだんだんと小さくなっていく。温度と振動を求めて指を奥へ奥へと突き入れ、しかしとうとう喋らなくなった〈口〉は指の水分を吸い取ってしまうんじゃないかというくらい渇いて萎んで、こうなればもう燃やす以外の使い道はない。あっという間に燃え尽きる化石から強く芳香する石由臭。ゆら、ゆら、煙が天井から吊るした〈口〉たちの間を昇っていって天井に溜まる。燻されて温まった上の方の〈口〉達は化石なので呼吸をしないから咳をすることもなく喋り続ける。声の大きいものから紐を下し、外気に触れて寒い窓際や部屋の隅に置いておく。そうやって積まれたいくつもの〈口〉はそれでもこの小さい家に収まる程度の量で、これがおれの全財産だった。そして今日も明日も少しずつ増えていく。袋の中は拾ってきた〈口〉で半分ほど埋まっていて、つい先ほどまで凍土の中にあったそれらは何も語らない。肉付きがよくえっちな感じのするひとつを取り、その縁の方を揉みほぐしていく。指圧と一緒に体温を与え続けていくうちにぷにぷにと弾力を取り戻して初めてようやく〈口〉は声を出すようになる。『美少女の兄です、全てをお話しま』どうせなら妹の方を出せ。手近な肉を詰めて塞いで燃やす用にする。『いちばん、すいそ、いち、ぜろぜろななきゅうは』作業用。『チュパ……ジュルッリュチュリュリュ……』何か……何かに使えると思う、何か用。『妹です、全てをお話します』とっておきのごちそうだ。後で聴くものに仕分けたものは凍らせておいて、燃やすものは暖炉のそば、部屋の少し暖かいところに置いておく。このように動けるようにしておくことで、小さい声でもごもごもごもご渇いていくようになっている。そうして静かになった二、三〇個を暖炉にくべる。〈口〉は喋りきっても最後はぱちぱちと美しい音を出す。熱、安らぎ、おれは火が好きだった。入眠用の〈口〉をひとつ持ってきて毛布にくるまる。『こうやっていると、なんだか…』なんだか、何? 『ううん、なんでもない』おれもおそらく同じ気持ちだった。『ふふっ』という柔らかな笑み。二人の間に穏やかな時間がながれて……そして翌朝、脳を揺さぶる騒がしさで目が覚めた。あの演技プランからなぜこんなことに。喉の奥まで指を入れるも、ギャンギャンガヤガヤと鳴る声たちは一向に止まない。声たち? 覚醒し始めている耳と脳は毛布の外の、複数の声を拾っている。音に聴きしセミのごとく音を降らすのは部屋に吊るしてあったり積み上げてあったりした他の〈口〉たちだった。好き勝手に垂れ流されるこれらの整理をしなければ。膨大な作業の量とその怠さで動けなくなったおれの顔にぴちゃりと水が落ちてくる。天井からつり下がるつららの表面が溶けて滑らかに光っているのを確認し、そこでようやく部屋が温かいことに気付く。夏ってもしかしてこれか? 窓の外は何も変わっていないように見える。再び天井から水滴が落ちてきて、おれはようやく毛布から出た。毛布から出たことを後悔しないくらい部屋が温かいのは幸いだった。とりあえず連なって震える〈口〉に肉を詰めていく。そのうち詰める用の肉が全然足りなくなったから、〈口〉と〈口〉を張り合わせることで間に合わせる。お互いの声を交換し合う様はなんとも可笑しかったので幾分留飲を下げることが出来、冷静さを取り戻したおれはこの状況を生み出した元凶を探し出す。さて、室内に忌むべき夏をもたらした熱源は、果たして暖炉のそばに見つかった。燃やす用の〈口〉は今やかざした手に熱を感じるほどにもごもごと口を震わせていて、おれは暖炉から火箸を取り、その口を塞いでいる肉を外した——

 

「〈口〉の声から熱を取り出す機械が発明されて間もない頃は、詰め物の振動として熱を取り出す単純な構造で、詰め物が改良されるようになり、複数の〈口〉が互いに互いの声を強めあったり弱めあったりすることが発見されるなどして取り出せる熱量は次第に増えていき、その過程でたまたま〈腕〉を詰めたところ、ひとりでに動き出したことから肉の化石の機械は発明されることとなる。単純な熱を取り出すよりも高効率に運動エネルギーに変換でき、肉の化石が歯車を回し、大規模な採掘が行われ、その大量の肉の化石がさらに多くのエネルギーを産みより多くの化石を採掘する。〈口〉が肉を動かす機構について研究が進み、より細かい運動を制御できるようになるころには余裕が出てきたのか、工業用途以外の機械が登場し始める。肉の化石戦争、通称肉戦が子どもたちの間で流行したことはそれだけ物質的に豊かだったことを物語っている。限られたフィールドの上で各々が組み立てた肉の機械、〈駒〉をぶつけ合うというその遊びは、初めは段ボールや勉強机というそれらしいサイズに始まったものの、エスカレートしていくにつれ兵装の規模や筋積載量が増えていき、十メートル四方の土台の上で取り組みが行われるようになるころには、相手を粉々の肉塊にするバーストフィニッシュと呼ばれる贅の極みのような決着が認められていた。肉をより効率よく破壊するための設計が練られるようになり、破壊の技も派手になっていき、そして当然のように巨大化していった。飛行能力、鋭利な牙、肉を焦がす熱線、黄金色の機体……強さと見栄えの良さを追求するためにあらゆることが許されていた混沌の時代は、しかしある少女が偶然発掘した古代兵器の登場を皮切りにより破壊し尽くされたのは記憶に新しい。伝承にある龍のようなそれは爬虫類の化石ではなく、〈駒〉のように複数の肉を組み合わせて作られた機械であり、高速に飛行する機動力と火球を用いたアウトレンジ攻撃、あとは超筋力による単純な馬力の高さで世界大会まで登りつめる。待ち構えていたのは同じく古代兵器を従えた四天王八柱十六皇、規格外の力と力のぶつかり合いにあぶり出される大会理事の陰謀。龍と少女は肉を失い、またかつての対戦相手から肉を受け取りながら、最後の戦場で勝者として立っていた。大会理事兼大手ホビー会社社長兼少女と決勝を戦った少年の父親は息子を二対の巨塔が頂く玉座に呼びつける。龍に敗れた猿は主人を真似て彼の父親に頸を差し出す。少年の腕ほどもある指が猿の顔面に差し込まれて〈口〉を捥ぐ。いくつかの魔術的な操作のあと、少年の知らない声で語る〈口〉に共鳴し、玉座の下の巨塔たちが震え始める。『フハハ、もう誰にも止められぬよ』肉で出来ていたその巨塔は、いまは原理も分からぬ謎の力で浮いており、それぞれ片側の平たい先端から生えている五本の根を広げてその威容を余すところなく示していた。『お前が今破壊した肉、私と私の息子が手塩にかけて育て上げた肉。それを制御していた〈口〉こそが鍵だったのだ』少年は何も語らない愛機を抱えて泣いている。

『もうこの世界というものに飽きてしまったのだよ……スクラップアンドビルド、俺がもう一度作り直す』

『アレを攻撃すればいいドラ!』龍の翼が指す先、塔と塔のちょうど中間に〈口〉が浮いており、大地を真っ新に均すための制御コマンドを呪文のようにブツブツ唱えている——

 

「気球都市から離れ、ゆっくりと星に降りていく我が家の底が大気層に触れたのか、無数の砂がザァザァと叩く音が届いて寝床を細かく振るわす。ベランダに出て薄く赤い空の奥の方を覗くと、どういう原理で浮いているのかぜんぜん分からない大きな重機の大きな指が、かつて町が建っていた地面の端をつまんでぺりぺりと掘削していたところだった。掌の上で捲った地面を揉んで転がして、あるいは親指の腹で摺り、撫でていくうちに岩、石、土砂、そして氷がそれぞれ自発的に集まりながら指の隙間から落ちていく。残るのは化石だけだ。その間にもう一方の腕が、捲られた後の地表に残っていたり、こぼれ落ちたりした化石を大きな指で器用につまんで採る。五万種以上七兆五千億体分の肉の化石を繕って建造されたその重機は、町を浮かせるための化石をやすまず炉に送り続け、その装甲は乾燥と冷気に晒されひどく荒れている。それを不憫に思った幼い頃の私は軟膏を気球の上から垂らし、おとなに『無駄をしてはいけませんよ』と叱られていた。おそらく軟膏が届いたことはなかったし、届いたとしても効くことはなかっただろう。それでも、誰かが労わねばならなかった。

 この家は親から譲り受けたものだった。気球都市中心の太陽より温かなものと比べれば随分小さいけれど、家ひとつを浮かすことのできる立派な炉だ。かつて一家団欒を暖めていた大きな火は、しかし焚べる化石の量を減らしたために親が生きていた頃より随分と小さい。遠い先祖が起こし代々育てられてきた火が弱まる様子に申し訳なさを感じつつ、家が浮力を失うにつれて大きくなる地面の存在感に意識は引っ張られた。とうに手を伸ばせば繋げそうなほど腕は近くにあったが、耳を澄ましてもその声は聞こえない。伸ばした手を引っ込めると、冷たい砂に叩かれた肌から少し血が出ている。

 働きものの母の手とそれが作る温もり。私の記憶のほとんどはそれと結びついている。棚に差し込まれている無数の地質模型からひとつテーブルに広げ、地面表層を端から剥がし取り、土と砂を振り分け、微塵に挽いた化石だけを選び採る。子供の頃から見てきたその手つきは腕が覚えるまで真似た。口は覚えただろうか。採掘の過程を唱えてみる。かりかりと爪の先で地層の隙間を探り当てて……どのように記述すれば上手に腕を接ぐことが出来るのだろう。母は褒めてくれるだろうか。外の巨大な腕の動きは既に鈍く、中央にある〈口〉は微かに排気音が聴こえるばかりだった。砂の覆う上空には気球都庁の公用船の影があり、次の継ぎ手を載せて降りてきている。私と母に残されている時間はもう幾許もない。舵を取って母まで目一杯近づいて、両手いっぱいに肉片を抱えてみせる。どうだろう母さん、見様見真似にしては上手く出来たと思うんだ。母さんこれ、褒めてよ。母さん!

 

 


 

去年の文フリに化石テーマで書いたやつです。

 

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