ちゃぶ台

えんぞうです。書いた小説など

登校日誌

[n]

 光学系に大きな刺激があって目が覚めたが、観測できる範囲に天体はなかった。なんだったんだろう、とにかく変な波形だ。メロディのような。妹を起こそうと試みるも寝言で返事すらしてくれない。諦めて体内時計を確認すると、母星を発ってからもうかなりの時間が過ぎていた。他星系からのメッセージに入っていた入学案内を頼りに恒星間登校の途中、これでもまだ通学路全体の4分の1にも満たないらしく、どうやって退屈を過ごそうかと悩んでいる。親には電力を無駄にしないよう、極力スリープモードにしておけと言われていたけど、そんなに長い間寝ているというのも疲れるものだ。こうしてn度寝から目覚める度に、まずは身体の点検をした。軽く伸びをしてみると、よく関節が動きにくくなっているから、そういうときはメンテナンスを行う。今回は作業肢と触角のあたりにぎこちなさがあり、腹部格納庫から修理班機を出し、ついでに時間割解読班も起動させて後は彼らに任せた。もう太陽の光は拾うことができない。入学案内によるとしっかり学校には向かっているみたいだが、自分で自分の位置を知ることができないためにどうにも不安だ。まあ、どうせエネルギーは残り少ないのだし、計算してみてもとうとう目的地にたどり着きませんでしたという結果がまっているようだったので最近はどうでもよくなっていた。妹が起きないことを確認して遺書代わりに付けている日記を開く。n-1度寝から目覚めた時につけた記録を読み返し、連続した自分を意識しながらn回目の覚醒時の記録を始めた。はじめの頃の自分からどれくらい変わっているんだろうかと過去の記録を遡ってみると、好きな光がだんだん長波長に変わっていた。そのまま記録を参照していき致命的な矛盾がないかざっと確認する。いくつか許容しがたい欠損が見つかったけれど、何かが無くなっているだけで矛盾しているわけではないし、別にいいか、と筆をおいて周囲に意識を向けた。あの変な光はあれからずっと検知されているままだったからだ。周囲には発生源となりそうなものはなく、とりあえず波源を探ってみると、どうやら僕らの目的地の方から来ている光らしい。単なる偶然かそれとも――

 

 ――システムが再起動しました。

 パッケージ化された光がゴツンと感知された瞬間、何かのファイルのインストールが始まっていた。恐ろしい速さで書き加えられたファイルは、時間割の解読を一瞬で終わらせた。つまり、翻訳ソフトが入っていたのである。入学案内を開いてみると、なるほどすらすら読むことが出来るようになっていて、それだけでなく先程鳴り続けていた光が始業のチャイムだということも知ってしまった。留学早々遅刻してしまった事実に、学校に行くことがひどく憂鬱になる。翻訳ソフトを手に入れたところで電力が増えるわけでもないし、このまま予習で使いきってしまうか。どうせ戻れないし、結局遅刻しているわけだし。まずは「有効厚み操作」「天国回転」「無」「卵」などの単位をとりあえず触ってみることにする。

 

 

[n-2^13]

 今日はご機嫌な気分だったので、平行して時間割の解読を試みる。出発前から親がやっていたのをそのまま引き継いだ。目が覚めて気が向けば解読の続きをしている。カリキュラムも分からないのでは予習のしようがないので、完全な解読を待たずに送り出した親に困っていた。もし忘れ物などあったら入学早々とんだ恥をさらしてしまうのに、取りに帰ることは出来ない。今のうちに用意できるものは用意しておきたい。僕は親たちの期待を背負って建造された恒星間登校留学生だ。かなりお金がかかっているため、出来る限り立派な成績で異星の学問を修めたい。

 お兄、いまどこなの。

 妹が起き抜けに聞いてくる。僕は入学案内の学校住所のページを共有すると妹はまだ先は長いことに文句を言って寝た。最近は寝てばかりいるのでなかなか話す機会がない。電力はもう残り少なく、時間割解読や登校、修繕にかかる分も節約しなければならないようになってきていた。反抗期の妹なりに配慮しているのかもしれない。

 

 

[n-2^308]

 起きて、お兄様。

最近よく起こしてくるこの妹は僕の知らない妹だった。少なくとも出発当時はいなかったのだが、寝ながら登校していたのだろうか。僕も寝ながら登校したいのだが。

 お兄様、小石がありますわ。

 妹の指す方には小惑星があった。ずっと同じ速さで向かってくるそれは頑張れば掴めそうだった。接触地点を算出してエンジンをふかし少し加速する。腕を展開するタイミングも合わせて、3、2、1、で、捕まえた。石の運動方向に引っ張られて登校方向に減速してしまう。また始業に遅れが出てしまった罪悪感が再びエンジンを稼働させ軌道修正を試みようとしている。エネルギー残量が気になってくる。

 これを蹴りながら参りましょう。

 妹はおねだりが大層上手なようで、僕は全く断れずに言うことを聞いてしまうのだった。しまいかけていたアームと、それともう一本を展開して、それぞれ交互に小惑星を蹴りながら登校するルールである。ただ蹴るだけでは作用反作用で負の加速をしてしまうからエンジンをなかなか止めることが出来ない。

 74回目の妹の番、妹は突然強く蹴り出して小惑星を遠くに放ったので船体は大きく揺れ、進行方向とは逆に飛ばされ、アームが壊れた。妹はどうやらこの単調な作業に飽きてしまったらしい。

 お兄様、アームが壊れました。

 知ってるよ。子機にお願いして修理に回し、エンジンの出力を上げて通学路まで戻る。妹はアームの強度について一言二言文句を言い、そのまま装備を壊したことなど忘れてしまったかのように機嫌をよくして、ホルストの惑星を流し始めた。

 矮小な石っころが飛んでいく様が、いくらか映えて見えますね。

 妹はけらけら笑って、笑い疲れるとそのまま寝た。小惑星が観測範囲から無くなるまで見届けた僕は再び妹に起こされるまで眠った。多分、自分が小惑星のように宇宙を漂うしかないものになった夢を見たのだと思う。悲しい、寂しい夢だったことは憶えている。

 お兄様! ああ、お兄様大変です。あの物体、不規則に加速しています。虫です。虫ですよお兄様、捕まえなければ!

 僕は妹の望むように船を動かした。今度はきっと虫になった夢を見るのだろう。

 

 

[3]

 毎日一人で登校している。これから言葉も分からない場所に一人で。私は親の期待を裏切るわけにはいかない。意思疎通も取れないのでは技術や文化を持ち帰ることなど到底不可能じゃないか。私は駆り立てられるように入学案内から単語や文法と思われるものを抽出して言語進化のシミュレーションを行い、膨大な処理に追われてシステムが落ちる。そもそも人類はまだ生き残っているのだろうか。仮にいま人類が生き残っているとしても学校はまだ先なのだし帰ってきたときに絶滅していたら一体何のために私は。解決することのない問題に電力を割いて作戦能力を低下させている自己矛盾に耐えきれず、強制的にシャットダウンしては孤独と不安で覚醒する。これを繰り返している。

いつまで。

 

 

[O]

 登校日誌をつけることにした。私がおかしくなっても、記録さえあれば私は連続しようとすることができる。たとえ人格や構造が変化していても、連続していれば帰納的に私は人である。孤独でおかしくなっても私は人である。広い闇の中で黙々と運動する人が正気を保っていられるはずがなく、ならば機械であっても人を模しているのだったら、正常に動作しないことこそ正しいはずだ。これから一項ずつ増えていくこの日誌は、ゆっくり形を変えていく私の型を取っていき、そしてそのままそっくり正しく人であることの証明となるのだ。

 

 

[O’]

 長い恒星間登校を終え、ようやくたどり着いた校門は美しく配置された直線の集合だった。宇宙船に詰め込んでいた身体はあちこち凝っていたし、各種センサも完全とは言えないけれど、感知する全てが新しく、回路はやりたいことリストに新しい項目を追加したり、ひっきりなしに優先度を入れ替えたりしながら、同時にあらゆるリスクを想定しその対策を提案していた。校門をくぐった先には巨大な壁がそびえ立っており、それはどうやら校舎らしかった。期待と不安の緊張で細かく振動する五指で校舎と思われる構造物の表面に触れ、ずぶりと取り込まれた先は再び広い空間となっていて、おそらく宇宙のあらゆる星々から集められたものたちが思い思いに過ごしていた。談笑するクリーチャー達の行き交う中央には規則的なリズムをもって運動する物体、おそらく時計、が浮遊している。

 チャイムなっちゃうよお兄。

 お前、場所分からないでしょ。身体を共有している妹が走り出そうとするのを精一杯制止する。もちろん僕も場所は分からない。迷わないように入学案内を開き、指定された場所に向かう。未来の学友達がそれぞれの教室に向かい始める。遙か頭上から旋律を持った光が降りそそいで始業を合図している。