最近、私ってアンチ物語なのかもと思うことが増えてきている、ように感じる。
物語そのものの美しさ素晴らしさを感じるときに(もしくは、ある作品の物語が褒められているときに)、特にそう思う。なんなんだろう。
なんなんだろうといっても僕の中で大体見当はついていて、シーンごとの良さばかりに注目しているからだ。
こんなに美しいものを物語という枠にハメやがってよという気持ちがあるんだろう。
個々のシーンが宝石だとしたら、美しい物語はそれらを最も美しい形で配置し、装飾品としての芸術性を高めるものだ。だからこの気持ちはあんまり正しくないとは思う。
「宝石は宝石の、原石は原石の美しさがあるのは確かだし、より大きい価値で磨かれない良さがあってもいいだろ」
こういう声も(僕の中に)ある。良さがあってもいいが、良い物語がこれらの価値を減ずることはまずない。フィクション全てが作為の産物と言ってもよいからである(少なくとも発声に限って言えば偶然、たまたま、奇跡的というものはない気がする)(ノンフィクションですら人によって語られてしまう)。
だからこれは好みの話だ。
好みの話なので好き勝手話すんですけど、やはり美しいシーンは物語から外して考えたいな。
あまりに強いシーン単体が脳に入ってきたとき、ぼくを巻き込んで像を結んで立体する。そういうときって一番フィクションがフィクションでないときだから。
こういうことをいっておきながら、俺はある最強のシーンを見せるためだけに他のシーンがあるような作品が好きだ。シーン単体で評価していないじゃん。
え、じゃあこのアンチ物語みたいな気持ちなんなんだろう……単に逆張りかな……(最悪のオチ)
終